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音類(オトンルイ)竪穴群遺跡

1.概況

〇位置及び周辺

遺跡は幌延町の日本海側海岸線、浜里地区に所在。

この地域は、サロベツ川流域にあるサロベツ原野とその日本海側に発達する海岸砂丘列で構成され、北は稚内市坂の下から南は天塩川河口まで発達する砂丘列は、40数kmに及ぶ数条からなる。 

海岸砂丘地帯は、昭和49年に指定された「利尻礼文サロベツ国立公園」に属し、全域が平成17年にラムサール条約湿地に登録されている。

遺跡は、この砂丘列の南半部に立地し、竪穴群は、現在の音類橋付近から豊富町との境界付近まで、南北6kmの範囲に連綿と存在している。
  ※国立公園内であり、許可なく足を踏み入れることはできません。

〇地名の由来

「幌延町史」によると、遺跡名になっている「音類」(オトンルイ)は、アイヌ語からきておりオタは砂浜、ウンはそこにある、ルイは路・道で、浜にある路を意味する。

〇音類竪穴群遺跡の調査経過

昭和39年7月 早稲田大学 桜井清彦氏らが一部発掘調査
昭和41年 北海道大学 大場利夫氏、(町史編集室)加藤良美氏らが遺跡中央部踏査
昭和42年 北海道大学 大井晴男氏ら遺跡北部踏査 
昭和45年  札幌大学 石附喜三男氏、天塩高校 街道重昭氏ら南北6km踏査
昭和59年7月 北海道教育委員会文化課、幌延町教育委員会が一般分布調査 
平成7年6月  幌延町教育委員会が大曲地区に「音類竪穴遺跡」標柱を建立 
平成15年6月  (財)北海道埋蔵文化財センター 越田賢一郎課長他、道文化課 田才主査、宗像主事、幌延町教育委員会職員 現地調査 
平成16年6月   (財)北海道埋蔵文化財センター 越田賢一郎課長他、街道重昭氏、川内谷門別町文化財係長、幌延町教育委員会職員 現地調査 
平成17年
 〜平成21年 
(財)北海道埋蔵文化財センター 重要遺跡確認調査(5か年調査)

2.重要遺跡確認調査(平成17年〜平成21年)による現況

 5か年の調査により確認し位置を記録した竪穴は796軒、竪穴のまとまりとして確認した範囲は40か所。チャシ(注)跡3か所を確認 (豊富町を含む)

(注) チャシとは、アイヌ語で砦・館・柵・柵囲いなどの意味があるとされ、用途は砦、送り場、儀礼の場、見張り場、交易拠点などと考えられています。

 

〇竪穴の立地と分布
 遺跡の位置する海岸砂丘は第3砂丘地帯に相当し、低湿地や沼を含んだ数本の砂丘列からなるのが特徴。サロベツ湿原と横列砂丘列との間には、北東−南西方向に延びる砂丘列や明瞭な馬蹄形の砂丘が連なり、複雑な尾根筋を形成している。竪穴は中でも特に北東−南西方向に延びる海岸砂丘列に立地するものが多い。
 竪穴の数は、6000区の大曲地区を中心とした北部がもっとも多く、5000区で少なくなり、1号チャシ地区を中心とする4000区で再び増える。3000区、2000区と南下すると竪穴群も疎らで、竪穴数も激減し、1000区では竪穴を見つけることはできなくなった。サロベツ川が砂丘に近いほど竪穴数が増加する傾向がみられ、川と砂丘との距離が分布に影響していると考えられる。
〇遺跡の範囲
 竪穴群はH21-1地区を北限とし、H20-8地区を南限とする南北全長約6.2km、東西幅約1kmの範囲に分布。

〇竪穴の形状及び規模

形状は、796軒のうち、方形が728軒、方形と思われるが不明瞭なもの44軒、円形と思われるものが24軒。

規模は一辺2m以下の極小型が29軒、1辺3m以下の小型が94軒、5m以下の中型が379軒、10m以下の大型が286軒、10mを超える特大型が8軒を数え、一辺4〜5mの竪穴が最も多く、最小は一辺1.5m、最大は一辺13.0mのものである。

深さは30cm以下の浅いものが約150軒、50cm前後のやや深いものが約300軒、60cm以上の深いものが約300軒を数えた。1mを超えるものは60軒確認され、その大半が大曲地区のもので、最も深いものは1.4mであった。

〇遺跡の時期

 過去に採取された擦文土器から、9世紀〜10世紀代のものと考えられるが、特定できる資料を採集、確認することはできなかった。

〇窪みで残る大規模竪穴住居跡群
 北海道内で認められている「窪みの状態で残る竪穴住居跡群」の中には、最大規模を有するものとして北見市国指定史跡常呂遺跡、標津町国指定史跡標津遺跡群が知られている。常呂遺跡では2706軒、標津遺跡では2496軒が確認され、その形状などから縄文、続縄文、擦文時代、オホーツク文化期に至るまで営まれてきたことが明らかになっている。

 これらの遺跡群と比較して得られた音類竪穴群の特徴を以下の4点にまとめた。

1 擦文時代を主とし、河口付近の海岸砂丘上に立地することなど常呂、標津と共通する特徴が認められること。

2 常呂、標津がオホーツク海側に位置するのに対して、道北部の日本海側に位置する遺跡であり、周辺に同規模の遺跡が見られないこと。

3 竪穴の軒数が796軒で、常呂、標津と比べて少ないこと。これは音類で確認された竪穴がほぼ擦文時代に限られていることによるものと考えられる。

4 遺跡範囲の面積が南北約6.2km、幅約1kmで、常呂(128ha)、標津(373ha)を遥かに上回る規模であること。

 以上の点から、窪みで残る竪穴群の中でも音類竪穴群は規模、内容ともに道内を代表する遺跡として考えることが出来る

 

※「幌延町史」及び(財)北海道埋蔵文化財センター編集「重要遺跡確認調査報告書第6集〜第7集」より



 

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教育委員会

最終更新日:2012年03月19日

発信元: 教育委員会